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恋に効く、仏教 Vol.7

恋に効く、仏教 Vol.7 第七話
結婚生活には、
我慢も努力も無用?

2016.01.13

「結婚は我慢だ」と言う人がいます。
「結婚に我慢は必要ないけれど、努力は必要だ」と言う人もいます。
どっちが正しいのか?
そもそもそんな思いが必要なのか?
 
 
私が副住職をしている浜松市の龍雲寺では、最近仏前結婚式をする方が非常に増えてきました。
 
仏前結婚式は、大切な節目の日に、ただ喜びの時だけでなく、誓いと戒めを心に持って歩んでいただきたいという思いがある式です。
 
その仏前結婚式の際に、修行道場の老師様のお言葉の受け売りですが、式の終わりの祝言の際に、私が新郎新婦に言う言葉があります。
 
 
琴瑟相和
 
中国の教えの中で、夫婦がうまくいく例えを、
相和(きんしつあいわす)

と言います。
 
琴も瑟も中国のお琴のような弦楽器のことを指しますが、
『その二つがよく音を合わせればよい音色がする。
また、弦楽器なので、両側が常に引っ張り合うことでよい音色がする。
夫婦も同じことで、お互いが努力し、時に我慢し、頑張っていくことで、よい夫婦になる。
という意味合いで、おめでたい席でよく使われます。
 
よい夫婦を続けるには、お互い頑張らなければ、よい音色の夫婦はできない。
 
 
ただ、無理だと思うのです。
 
頑張れ。頑張れ。努力。我慢。
なかなか続かないものです。
 
仏教の思いでは、
少しだけこの言葉と考え方が違います。
 
法事の際などにお経を読む時、
大きい鐘をゴーンと鳴らしながらするのですが、
たまに私のお経の声に共鳴して、鐘が唸り出す時があるのです。
ちょうど私の声とうまく合うのでしょう。
グヮーンと唸りだします。
 
この関係性が夫婦・結婚をうまくいかせるのに大事だと思うのです。
 
相手の音を我が音として唸りだす。
 
 
常に努力して我慢して、弦を引っ張り合っていくなんて無理
だと思います。
 
常に頑張れ、頑張れ! 引っ張れ、引っ張れ!
お互いに努力だ! 我慢だ!
 
それをしないと夫婦としてのよい音色がしないから、怠れば相手を責める。
 
私は頑張っているのに、あなたは頑張らない・・・・・・と嘆く。
 
 
それでいいのでしょうか・・・・・・?
 
 
結婚式で永遠の愛を誓うわけですが、私たちは常に変化していきます。
 
優しい人も、心が疲れれば優しさを分け与えられない時もある。
 
頑張れと言ったって、頑張れない時もある。
 
そんな時に、鐘が共鳴して唸り出したように、
 
相手の悲しみを我が悲しみとして
相手の喜びを我が喜びとして
響かせていく。

 
そのような思いのほうが、とても大事だと思います。
 
夫婦は一心同体。
他人であった二人が、心を一つにする事です。
 
二人で「よい結婚生活」という幻想をつくり上げていくことではなく、
二人で一つの心になることなのです。
 
努力や我慢をすることではないのです。
 
相手の思いになりきることだけが必要なだけです。

 
生活を共にする相手ではなく、
心を共にする相手
それが夫婦であると思います。
 
 
結婚生活に努力は必要、我慢は必要。
確かにそりゃ多少のことはいるでしょう。
 
でも、もっと大事なのは、相手を思いやり、
相手の心を我が心とする慈愛の思いだと感じるのです。

Writer Profile

木宮 行志
木宮 行志Koushi Kimiya

お寺婚活「吉縁会」事務局長 / 龍雲寺住職

浜松市の龍雲寺に入寺後、小学生100名のサマースクールや、世界の子どもにワクチンを送る万灯会など、社会貢献活動を行う。

2010年より、静岡県西部で費用をかけず、安心した出会いの場を提供しようとお寺での婚活「吉縁会」を地元の若手僧侶とはじめる。2015年からは東京、2016年からは名古屋・岐阜・大分・仙台でも開催。現在、会員は10,500名。成婚は260名以上と大きな成果を上げる。僧侶という立場で、独身世代と向き合い、多くの縁結びをお手伝いする。2018年春、 龍雲寺 第22世住職となる。

永代供養・樹木葬・坐禅会紹介『龍雲寺』
寺コン・お寺婚活『吉縁会』

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