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恋に効く、仏教 Vol.6

恋に効く、仏教 Vol.6 第六話
縁は自分で起こすもの。

2015.12.16

よくご縁が来るのを待つ
と言いますが、縁というのは自分で起こすものだと思うのです。
 
仏教では、因果応報という教えがあります。
すべての物には原因があって結果がある。
私たちが今生きているのは、両親がいるからであり、さらに言えば数えきれないほどの先祖、先人がいたからです。
いま目の前で起きている事のすべてには原因があるのです。
簡単に言えば、種を植えなければ花は咲かない、という事です。
 
結婚したい、彼氏がほしい、○○になりたい
 
私たちは、すぐ結果を追い求めます。
ただ、結果が出るためには、種が必要です。
ただ、第一話でも書いたように、出会いなどの種はそこいらじゅうに落ちています。
ですから種の心配はいりません。
でも、花が咲かない。
原因があっても結果が出ない。
おかしい。
そう思われる方もあるかもしれませんが、
ここで大事なのが、そう。縁です。
 
この種と結果の間にあるのが縁だと思うのです。
 
 
桜の季節、私の寺の門前には地域では有名なしだれ桜が植わっています。
少し早咲きの桜で、毎年春の彼岸が明けるころに満開になります。
少し年老いて病気がちの桜ですが、それでも毎年決まって綺麗な花を咲かせて皆を楽しませています。
写真を撮る人、絵をかく人、お花見に来る人、
本当に大勢の人がやってきます。
ただ、花の季節はせいぜい2週間。
 
寂しいもので花のない季節はみな素通りです。
 
冬枯れの桜の写真を撮る人はもちろんいません。
 
でも、大事なのは実は咲いていない時だと思うのです。
 
桜も種があっただけで咲いたわけではありません。
 
鳥か人間か、誰かしらが種を落とした後、
 
しっかりと根を張り
芽を出し
太い茎となり、幹となり
枝葉を出し
冬枯れを過ごし
そして、やっと花が咲くのです。
 
畑だって、種を植えただけでは作物は育ちません。
水をあげたり草を抜いたり肥料をあげたり
その様なことがあって収穫を迎えるのです。
 
種を植えて、花が咲くまでの、この過程が縁だと思うのです。
 
恋愛などで考えるなら
 
縁とは、どこかからふらっとやって来るものではなく、自分で起こしていくものです。
 
水遣りをさぼれば、枯れますし、
太い幹になる事をやめれば、大輪は咲かせられません。
 
結婚相談所や、吉縁会などの男女と出会う場などもありますが、それ以外にも私たちは日々多くの人と出会っています。
 
その出会いの種を得た時に、よい行いをすれば、良い結果が得られるでしょうし、
悪い行いをすれば、悪い結果となるのです。
 
よい行い、良縁を起こせばいいのです。
 
縁を起こすと書いて縁起。
 
よい縁を起こし過ごせば見える先は極楽なのです。
 
もちろん男女の事に限れば、相手のある事なので必ずという事はありませんが、
 
相手の話をよく聞き、相手の心情を察して、相手が喜ぶように、楽しむように
相手のよいところを探して尊んで
 
と過ごす行いと
 
自分だけが楽しみ、自分のスタイルに相手を合わせようとするばかりで、
自分に合った相手を探すと意気込み、相手に合わせる姿勢がない行い
 
これは行き先が違うと思うのです。
 
縁がない、縁がないと嘆くよりも
 
日々の縁の起こし方を振り返り
目の前の瞬間を大切に過ごしていくことが大事です。
 
冬に桜の花を咲かすことはできませんが、冬の枯れている時期を大切に過ごさねば、春になっても花は咲かないのです。
 
どうぞご自分を振り返ってみてください。

Writer Profile

木宮 行志
木宮 行志Koushi Kimiya

お寺婚活「吉縁会」事務局長 / 龍雲寺副住職

浜松市の龍雲寺に入寺後、小学生100名のサマースクールや、世界の子どもにワクチンを送る万灯会など、社会貢献活動を行う。

2010年より、静岡県西部で費用をかけず、安心した出会いの場を提供しようとお寺での婚活「吉縁会」を地元の若手僧侶とはじめる。2015年からは東京、2016年からは名古屋・岐阜・大分・仙台でも開催。現在、会員は10,500名。成婚は260名以上と大きな成果を上げる。僧侶という立場で、独身世代と向き合い、多くの縁結びをお手伝いする。

永代供養・樹木葬・坐禅会紹介『龍雲寺』
寺コン・お寺婚活『吉縁会』

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