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恋に効く、仏教 Vol.34

恋に効く、仏教 Vol.34 第三十四話
我慢。忍辱の思い

2017.08.09

先日、うちのお寺の横にある佐鳴湖という湖で、佐鳴湖花火大会がありました。
 
私の町は、
かつて織屋が多くあり、
ガチャマン(織機がガチャというとお金が入ってくる)と言われていた時代は、
佐鳴湖花火も非常に盛大でありましたが、
 
織屋が廃れると共に、
佐鳴湖花火も開催されなくなっていました。
 
それが今から、30年弱前に復活して現在に至ります。
 
最初の頃は、
5分に1発ずつの花火大会で、もう終わったのかな?と帰ろうとすると、打ちあがる、といった小さな花火大会でしたが、
だいぶ大きな花火大会となり
なんとかこの不況の中でも、
1000発以上を打ち上げる中規模の花火大会として続いています。
 
 
実は今年の花火大会から、
お寺の山頂を解放し桟敷席としました。
 
山頂からは、花火が独占でき、湖に映る花火も観ることができ、最高のロケーションとなっているので、
多くの皆さんに開放し、皆で花火を楽しもうという事で、開催に至りました。
 
頂上の広場は広いのですが、
初回ですし、多すぎて崖から落ちても危ないので、
先着100名として、檀家の方と、お寺のメールマガジンを登録している方限定で募集し、
あっという間に先着100名が埋まりました。
締切後も多くの応募がありましたが、
安全も考え、お断りして当日を迎えました。
 
 
ブルーシートを敷き詰め準備が終わった後に、急に雨が降り、ブルーシートを雑巾がけするという苦行の後、
花火の時間となりました。
 
皆さん非常に喜んでくれて、
大いに花火を楽しみました。
 
ただ、裏方は意外に大変。
 
予約していない人たちが勝手にお寺の中に入って、
花火を観ようとしてしまうのです。
 
一応、注意書きをし、
バリケードをしておいたのですが、
乗り越えて
また一人
また一人
と。
 
山頂なので、やたら多くの人が来る訳ではないのですが、
酔っぱらった人から、
子連れまでいろいろとなぜか入ってきます。
 
どうしようか。
 
一緒に観せてあげようか
追い返すのか?
 
悩みましたが、
多くの方をお断りしている事もあるし、
なんでもどうぞにしては収集がつかない
と思い
事情を説明し、別のところに移動をお願いしました。
 
大抵の方が、
知らなくてすいません。
と言って移動してくれました。
 
逆に
お話しを聞いて、今から移動じゃかわいそうだな、と思われる
赤ちゃん連れや、子供などは、
こっそり隅に入れてあげたり
臨機応変に対応していきました。
 
イレギュラーだったのは
 
「ここは桟敷席ですので」
というと
「花火観てません!ポケモンgoやりに来ただけなんで、花火観てませんから!」
となぜか半ギレで言ってくる40代の男性。
正当な理由っぽく言いますが、
言い訳してごまかすと言う行為と、
言い訳の内容に
うーん。と正直思ってしまいました。
 
酔っ払いも多く来て対応に苦慮しましたが、
 
一番残念だったのは
60歳代の男性。
 
「ご予約の方ですか?」
「してないいけど、観せてよ! ここ観やすいと思って。」

一応、事情を説明し、断っている人もいるのでと言い、さらに
「檀家さん以外もメールマガジン受信者は、桟敷席の応募できますので、来年良ければ」
と言うと
「メールマガジンとか知らんし。面倒だから。関係ないでしょ、今!? ここで観せろよ!」

なぜか怒っています。
 
僕も仏に仕える身ながら人間。
丁寧な応対なら事情次第では・・・・・・
と思っていましたが、
これはとても駄目だ。
 
丁寧に説明し、やっと別のところに行ってくれたと思ったら、
帰り際に
「本当にケチだな。はっきり言ってケチ。だから坊主は信じられん」
 
と、すごく嫌な言い方で、言葉を吐き捨てて帰っていきました。
 
その時
思ったのです。
 
残念だなーっと。
 
僕の説明が至らぬ残念さ。
一応ルールがある為、断らねばならぬ残念さ。
一緒に花火を観て仲間になれぬ残念さ。
 
それぞれありましたが、
 
一番は、
60歳まで生きてきて
それでもまだなお
人を不快にさせる言葉を言ってもいいと
思って暮らしている残念さ。
 
そりゃ
観たかったと思います。
 
僕も、いいよいいよで入れる手もあった。
でも、
やはりルールがある。
 
人間はひとりで生きていけない。
社会の中で生かしていただいている。
 
その社会を社会として成立させているのは
ルール。

 
最近、そのルールが行き過ぎて
生活を生き辛くさせている傾向もありますが、
やはりルールをなくす訳にはいかない。
 
仏教では戒律というルールがあります。
17話で少し触れているのでお読みいただきたいと思いますが、
正しく生きていく為にも指針は必要です。
 
社会や組織に様々なルールがある中で、
自分の中で思うルールが受け入れられない場面も出てくる。
だけど、
これはしょうがない。
 
でも、
それでも自分が正しい。
という思い込みの心が周りを見えなくさせる。
 
 
その男性は、
そのかたくなな心が受け入れられず、
怒りの心で
心に任せ
悪い言葉を吐いたのでしょう。
 
60年生きてきて、
それに気づく機会や、反省するタイミングはなかったのか?
私たち宗教者は、その様な人をなぜ今まで導けなかったのか。
本当に残念です。
 
怒り任せで出る
悪い言葉は、
 
一個も得なことはないのです。
 
相手は不快な思いになり、
自分の怒りは増長する。
 
丁寧な言葉なら、
ルールの中での臨機応変さで、
隅でならいいですよ。でも、来年からは予約してください。
となり、
花火も観られたのかもしれない。
 
悪い態度や、
悪い言葉に、
一つも得なことはないのです。

 
相手を不快にしても、
自分の中のルールが正しく、相手が間違っているのだから、
相手を不快にさせても、正当な行為だと思っているとしたら、それも残念。
 
相手の心を想像し
暮らすことをせず、
自分の欲の為だけに生きるなら、
それは辛い生き方になるでしょう。
 
 
結果的に1時間の花火の時間中、
僕は
ほとんど花火を観られませんでした。
 
観に来てくれた100名は
みんな喜んで、感謝もしてくれて
ブルーシートを片付けながら
やって良かったな。
と思いましたが、
 
やはり心のどこかに不快な思いが少し残っている自分がいます。
 
 
僕は、
お坊さんで、
普段は、この様な受付や、クレームが来そうな場所にはいません。
 
整った場所で多くの人と接する機会が多く
この様な機会が皆さんより少ないと思います。
 
クレームが文化のようになり、
自分が正しいと思えば、相手を不快にさせても、何とも思わない人も増え、
 
日々様々なところで
悲しみストレスを抱え、生きている人がいると思います。
 
ギスギスした社会になってきています。
生きにくい社会になってきています。
 
やはりそれは
我慢が足りんのだと思います。
 
自分の事より、社会や、相手の思いを大切にする思い。
自分の行いによって相手がどう思うか想像する心。
 
自分の欲を我慢し、
怒りを我慢する。
 
腹が立つのはしょうがない。
でも、それを抑えようとする想い。
 
仏教では
その心を忍辱と言います。

 
皆が我が思いを主張しすぎている社会。
 
社会で生かされている感謝の心と
社会で生かされている以上、様々なところに様々なルールがあり、自分の思いと違っても郷に入っては郷に従えの思い。
そして、
我慢する。忍辱の思い。
 
 
この思いを皆が持ち暮らしていくならば、
社会は変わってくると思います。
 
急には変わらんでしょう。
 
でも、
あなたが変われば、
あなたの世界は変わり、
あなたの周りの人は救われるのです。

 
まずは、自分から。
さぁ、忍辱。
 

Writer Profile

木宮 行志
木宮 行志Koushi Kimiya

お寺婚活「吉縁会」事務局長 / 龍雲寺住職

浜松市の龍雲寺に入寺後、小学生100名のサマースクールや、世界の子どもにワクチンを送る万灯会など、社会貢献活動を行う。

2010年より、静岡県西部で費用をかけず、安心した出会いの場を提供しようとお寺での婚活「吉縁会」を地元の若手僧侶とはじめる。2015年からは東京、2016年からは名古屋・岐阜・大分・仙台でも開催。現在、会員は10,500名。成婚は260名以上と大きな成果を上げる。僧侶という立場で、独身世代と向き合い、多くの縁結びをお手伝いする。2018年春、 龍雲寺 第22世住職となる。

永代供養・樹木葬・坐禅会紹介『龍雲寺』
寺コン・お寺婚活『吉縁会』

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