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恋に効く、仏教 Vol.26

恋に効く、仏教 Vol.26 第二十六話
いい加減に生きる

2017.01.25

私たちは日々暮らす中で、
気持ちが充実したり、
疲れ果てたり、
不安定な中で生きています。
 
仕事や家族だけでなく
恋でも、結婚でも同じかもしれません。
 
 
いい加減に生きろ
 
と、知り合いの和尚さんに昔言われたことがあります。
 
最初言われた時には、
「私の命を懸命に生きよう」と願う僧侶としての道と、正反対の事を言われているようで
しっくり来なかった気持ちを今でも覚えています。
 
いい加減に生きろ
 
後で、振り返って考えてみると
このいい加減は、適当という意味ではなく、
 
湯加減などが、
いい加減の方の、
いい加減ではないかと、
思い直しました。
 
 
自分にとってちょうどいい加減。
これが一番気持ちよく長く湯につかれる状態なのです。
 
以来、このいい加減に生きろ。の言葉をいただいて、
お葬式の後に、これからいざ供養が始まる方々に対し、
 
いい加減な供養
をお勧めしています。
 
気持ちが盛り上がって熱い湯に飛び込むような供養では、長く湯に入ることはできないし、
ぬるま湯につかるようでは、風邪をひいてしまう。
 
最初は、戸惑い、加減がわからないだろうけど、
家ごと、個人ごとの
熱すぎず、
ぬるま湯でない
いい加減を見つけ、
気持ちよく長く続けていただきたい
 
と話すようにしています。
 
 
これは、もちろん供養だけの問題ではなく、
 
仕事でも、結婚生活でも
何にでも言える事です。
 
頑張れ、頑張れで全力投球では、
長く湯に入る事は出来ず、
いずれ飛び出してしまう。
 
また、
怠けて、相手の事も考えず、
適当に過ごしているようでは、
風邪をひいてしまう。
 
その場その場の立場の中で、
必ずある
「いい加減」を見つけ、生きていかなければ、
長く楽しく続けることはできないのです。

 
ただ、難しいのは
自分だけの「いい加減」ではいけないという事です。
 
湯加減で言えば、
うちの子の中でも、
年少と小1の子供は、39度がちょうどよく
小4のお姉ちゃんは、41度が好きだと言います。
 
どちらも、間違いではありません。
 
同じ屋根の下の家族の中でも、
それぞれの「いい加減」が違うのです。
 
自分のいい加減が相手のいい加減ではないという事です。
 
社会で暮らしている以上、
ただ単に、私は41度、私は39度と訴えていても何も進みません。
 
無理のない中で、歩み寄っていき、
新しいいい加減に自分を慣らしていく事も時には必要です。
 
子供たちは、
相談し合って、
小さい子が39度で入って体が慣れた後に、
少し熱くして40度に追い炊きして
上の子が入ることに決めました。
お互いに、1度ずつ歩み寄って、
3人で長く笑いながら湯船につかっています。
 
 
いい加減を見つける事、
その場の中の、いい加減を新たに見つけ調和する事
 
それが、それぞれの中で、
長く楽しく生きていける道ではないでしょうか?
 
 
さて、供養の話に少し戻しますと、
 
最近は、3回忌までやればいいね、
そもそもやらなくていいね。
という方も増えているようです。
 
私のお寺のある地域は、33回忌までしっかりとやる方が大半なのですが、
いずれどうなるかわかりません。
 
ただ思うのです。
 
どの様な形でも、
故人への思いを心に、長く持ちながら
楽しく過ごしてほしいと。
 
葬儀の際は、皆故人に対し、強い思いをお持ちでしょうが、
人間だからゆっくりと忘れていく。
毎日、心にその人を思いながら、共に過ごさなければいけないのに、残念ながら日々に追われ忘れていく。
大切な思いをもう一度、皆で集って心に刻みなおし、次の一年次の一年と進む。
その為に集まるのが、いわゆる法事の大切な所だと思います。
 
亡き人への思いを持ちながら、
その家、個人ごとの
いい加減な供養の形を見つけ、家族の中でも歩み寄りながら行い続け、
たまに親戚含めた皆で集い
薄らぐ記憶を、心に刻みなおす。
 
33回忌とは、丸32年。
 
32年経てば、
集うメンバーも、欠ける人も出てくるし、
新しいメンバーも加わるかもしれない。
 
長い時が経ち、
メンバーも変わっても、
その家の雰囲気に、
亡き人への思いが生きているならば、
純粋にそれは素敵だな、と思います。
 
逆に、無くなるのだったら、残念だなと。
 
いい加減に続けていく事は、
長く楽しく供養を続け、心にその人を持ち続ける事につながります。
 
 
これは、
 
長く寄り添う夫婦も同じではないかと思うのです。
 
違う「いい加減」を持つ他人が
お互いが歩み寄り、
無理をせず、怠けずの
新しい「いい加減」を見つけ
 
最初に感じた
連れ添ってくれることへの感謝を、
記念日でも誕生日でも何かの節目に
もう一度刻みなおしながら、
長く楽しく。
 
お互いに爺さんと婆さんになった時に、
20代と同じにはいかないが、
その時、その時の、いい加減の中で、
感謝の思いを心に持ち続けて
過ごしているなら
それは純粋に素敵だなと。
 
 
自分のいい加減を見つけられない人も増えていますが、
自分のいい加減は案外見つけやすいものです。
 
大事なのは、
そこから一歩進め
 
相手のいい加減に気づき
調和する心を持ち過ごす。

 
これが、本当の
 
いい加減に生きる。
 
なのかもしれません。
 
 
 
皆さんの、
いい加減な生き方
考えてみませんか?

Writer Profile

木宮 行志
木宮 行志Koushi Kimiya

お寺婚活「吉縁会」事務局長 / 龍雲寺住職

浜松市の龍雲寺に入寺後、小学生100名のサマースクールや、世界の子どもにワクチンを送る万灯会など、社会貢献活動を行う。

2010年より、静岡県西部で費用をかけず、安心した出会いの場を提供しようとお寺での婚活「吉縁会」を地元の若手僧侶とはじめる。2015年からは東京、2016年からは名古屋・岐阜・大分・仙台でも開催。現在、会員は10,500名。成婚は260名以上と大きな成果を上げる。僧侶という立場で、独身世代と向き合い、多くの縁結びをお手伝いする。2018年春、 龍雲寺 第22世住職となる。

永代供養・樹木葬・坐禅会紹介『龍雲寺』
寺コン・お寺婚活『吉縁会』

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